いろいろ。

1998年3月〜4月のいろいろ。

戻るぞ。

1998年4月23日(木)...ヘッドハンティング。

朝、出社したら「電話があったよ」とのことなんだけど、知らない人。
誰だろう?と思ってしばらくしたらかかってきたんだけど、なんかヘッドハンティングやってるとこの人らしい。

大手外資系とか興味ないんでお断りさせてもらったけど、ふと思ったのは「どこから人間の情報を引っ張ってくるんだろうか?」ちうこと。
あたしゃまだ25にもならん経験4年の若造(ってこの業界じゃ十分なのかも知らんけど)だし、それよりなによりプリンタドライバしか作れない(爆笑)。←コレ重要。

そんな人間に声をかけてくるってことが不思議なんだよねー。
うちの部隊のKさんみたく、プログラマーとしてのセンスがあってなんでも作るしなおかつデザインのセンスも優れてるなんていうすごい人ならわかるけど、ねぇ(^_^;)。

こんなおいらで基準にひっかかるくらいじゃ調べまくって電話かけまくって会いまくってしゃべりまくってで大変だろうに(^_^;)。

とりあえず。
9時にスーツ着て出社、という生活はヤです(爆)。


1998年4月20日(月)...ガス屋。

家に帰って玄関を開けると足元にガスの利用明細表が2枚。
なんだろうと思って見てみると1枚はお隣さん。
「間違えていれちゃったんで、お隣りのポストに入れといてください。すんません」みたいなメモも落ちてた(笑)。
うち表札出してない(出したくないんじゃなくて、シールみたいの買ってきて貼ったりするのがめんどくさいというか買い物に出かけるときには必ず忘れるというのを続けて1年間(笑))から間違えたかな?
一応部屋番号は最初から出てるんだけどね(笑)。

ま、人間誰しもそういうことはあるよね。
気にしない気にしない(^-^)。


1998年4月19日(日)...恵理ちん来日(ォィ)。

高校時代に友達が「悪人面してるよなー」と言ったエリツィンくんも恵理ちんと書くとかわいいぞ(笑)。
↑似ても似つかんというか想像も付かんというか(^_^;)。

釣りやったり橋龍くんと釣りやったり人の結婚式に乱入(乱入じゃねーって^^;。これは土壇場で日程がずれたんで変えてくれと頼んだけどダメだったんだろか?と余計なこと考えたりなんかして)してみたりと、昔ソ連だったとこのエラい人とは思えませんな。
会談でもそれぞれ自国の外務省が困っちゃうようなことをほいほい進めたりなんかして、世の中は変わったなぁと思ってみたり。

ロシアに限らず中国の朱首相とか韓国の金大統領とか、ジョークも飛ばせば改革の意識もきっちり持った人たちをトップ(中国の場合はトップとはちょっと違うかな)に据えて、これからの世界各国の関係はいいほうに変わってくんじゃないかって気がするよ。
ただ、恵理ちんと橋龍くんは外ツラはいいけど内政ダメダメ君っつー不安とかもあるけど(^_^;)。

日本では小泉さんが首相になったらおもしろいだろうなぁ。
↑わし、ファンなんすよ(笑)。


1998年4月14日(火)...Akia。

Akiaがやってくれました。
実家でインターネットやりたいというんで機種選定任されたんだけど、茶の間に置くってんで液晶ディスプレイのデスクトップにすることに(うちあまり広くないんでねー^^;)。
妹が「あまり遅いのはヤだ」とかいうんで会社で使ってるマシン聞いたら、「よくわかんないけどノートで今いちばん速いやつらしいよ」。
「俺の開発機よりよほど速いじゃんかよー(;_;)」とか思いつつMMX200くらいのあたりで選定してたら、AkiaでMMX233で14.1インチ液晶付きのが\298,000で出てて、それをバイト先で発注。
1週間後に「受注生産になるので3週間かかります」と言われて「そりゃしょーがねーよな」とか思ってたら、3週間後には品物じゃなくて「それは生産完了。今度のは14.5インチになったんだけど、それでいい?」みたいな連絡が。
大きいことはいいことだと思って念の為に確認したら5万円高い(爆)。
おいおい、そりゃねーよ(^_^;)。
ないんだったら注文受けたときか納期連絡するときに言ってくれー。

ということで、30万くらいの枠でTFT液晶で拡張スロット1本以上あって...と機種選定に逆戻り。


1998年4月11日(土)...所沢高校。

所沢高校の入学式の話がいろんなとこで話題になってるねー。
形はどうあれ、言われるがままに動くだけではない高校生ってのは頑張ってほしいんでいろいろな意見を読むんだけど。

あそこの学校は昔から生徒(会)が自分たちで動くとこだったんだけど、今の校長が来てからちょっと管理的になったとのこと。
校長もそこの校風というものをもうちょっと考えてやればいいのになぁ、と思ったら「そういうとこだからわざわざそういう人を回して来たんじゃねーの?」とバイト先の店長の意見。
店長のお兄さんが去年まで埼玉県教育委員会のナンバー2で、いろいろ悩まされてたらしいんだけど(笑)。
「なるほど、そういう見方もありか」と感心しつつ、そういう中で飼い馴らされるでもなく自分たちで動いてほしいものですな。
でも「この人いつからここの大学にいるんだろう?」みたいな感じで「反発することに意義がある」みたいな勘違いはしないよーにね。
↑こんなこというと怒られるかもしれないけど、あたしゃそうみえるのだす。


1998年4月10日(金)...HDD復活。

Libretto情報交換の広場で「液晶映らず不良セクタ出まくり裏蓋切断」というりぶ50が売りに出されてるのを発見。
外部ディスプレイ付けて4ヶ月くらい使ってたらしいんだけど、部品取り用みたいな感じで売ってたんでHDDだけ譲ってもらうよう交渉。
↑50と60は同じ東芝製810MB。
ダメだったら話自体なかったことにしてくれるというとてもありがたい条件だったんで、基板移植でHDDが復活できれば4000円ということで交渉成立してました。

で、お昼休みに新宿駅西口に出向いてその場で移植手術敢行(笑)。
3分後には見慣れた画面が(;_;)!

それにしてもツイてたわー。
死んでたら中のデータがパーだもんなぁ。
しかも完動品じゃないんで割と安く上がったし。

教訓:バックアップはちゃんと取ろう!
↑常識だってば(苦笑)。

ただ、今回の場合はバックアップ取ろうとしたから死んだんだよなー(笑)。
方法がちょっとイリーガルだっただけで(ォィ)。

で、手元には基板死亡、ディスクは不良セクタ出まくりというなんの役にもたたないHDDが残ったのでありました。


1998年4月7日(火)...HDD死亡。

いいかげんリブレットのHDDが手狭になってきたんで(といっても半分以上音楽データ)、Windows95のバックアップディスクを作って広げよう、なんて夜中突然思い立ち。
おもむろにHDDを取り出して2.5→3.5インチ変換アダプタを経由してデスクトップマシンに接続。←りぶ用のFDD持ってないもんでねー。
すいっちおん!...で起動せず。
「ん?おかしいぞ?」と思って回ってるかどうか確認しようとディスクを持ったら基板が熱い(苦笑)。
案の定、りぶに戻すとディスクの回る音はすれども認識せず(;_;)。

はー、基板飛ばした...(;_;)。

回ってるんでディスク自体はたぶん生きてるな。
というわけで、どなたか東芝の8.5mm厚810MBHDD(MK0803MAT)を売ってやる!という人がいたらこちらまでご連絡下さい。
「おっことしてディスクがクラッシュしたけど基板はたぶん生きてる」なんていうのがいちばん歓迎です(;_;)。

はー、ショックでかし。
デジカメで撮った写真とか、再収拾できないデータが結構あるなぁ。
今までやった中ではいちばんダメージでかし(;_;)。

ということで、変換アダプタをつなぐときは上下を間違えないようにしましょう。
2.5インチディスクは電源ピンが信号ピンと並んでるんで、逆さまに挿すととんでもないことになりがちです。
即抜けばなんとか平気っぽいけど(そういや前回はそうやって即つなぎ換えたような記憶が...)。


1998年4月5日(日)...また車いぢり。

とりあえず、ずっとスタッドレスだったんで夏タイヤに交換。
これでロアアームバーの効果がようやっと体感できやした。

んで、リヤのタワーバー取り付け。
別に関係ないんだろうけど夜やったのがなんとなく失敗な気分。
ちょっとトリム切りすぎたのがショック(;_;)。
どっかで調達してこよっと。

さすがにこいつは効果てきめん、背後の感覚がとてもしっかり君になった(^-^)。
でも副作用として前と後ろの中間、運転席あたりで進行方向を軸によれるのがちょっと気になるのと、ボディの剛性が全体的にアップしたもんだからショックの抜け加減がよくわかるようになった(苦笑)。
こりゃいよいよショック交換するしかないかなぁ。
もう金ないのに(^_^;)。

そうそう、オイル買うのにいつもカストロールのシントロン(5W-50)買ってたんだけど、今回はなんだかんだで金がなかったんで5W-40なXJRを買おうと思ってたのだ。
しかし、手元にあるのはなぜか10W-40なXF-08。
両方同じ2,750円だったんで騙されちったい(;_;)。
↑おまえがあほなだけだろ!

5W-50から10W-40になってどうかというと、オイルがきれいになった分はいいんだけど、前回の交換後に比べると吹け上がりが若干鈍い。
あまり上のほうでがんがん回すわけでもないんで40になったのはそんなに関係はないんだろうけど、5W→10Wは結構でかいな、と思った今日このごろ。


1998年4月4日(土)...車いぢり。

朝早く起きて、INDYのところに押しかけてクルマいじり。
れがしぃくんにロアアームバーを取り付けたらお昼過ぎちゃって。
びーとくんのマフラーを交換するんでボルトがないとか始まってオリンピック(ディスカウントストア)へ探しに行くけど売ってない。
オイルを上抜きするための機械なんか衝動買いしたりなんかする。

で、そこの向いにあった車の修理工場に駆け込んでボルトを恵んでもらったんだけど、ちょっと長さが足りない。
そもそもM8の90mmなんてそうそうはないよなー。

いろいろ試行錯誤してるうちにかったるくなって「ドイトに買いに行こう!」と鳴ったのが19時の20分前。

出かける前に衝動買いの効果を試すべく、オイル交換などしてみたりする。
今回はフィルター交換をしなかったんで10分もかからない(;_;)。
もっと早く買えばよかったなー。

あっちこっち渋滞してて、結局たどり着いたときにはもう閉店(;_;)。

しゃーないんで夕飯食って(出てくるのに30分以上待たすとは何事ぞ!>COCOS)から親父の工場にもぐりこみ、ようやっと発見(;_;)。
23時を回ってたけどもむりやり取り付け。

それにしてもビートってすげーいい音するねぇ。
マフラー付いてないとGT-Rも真っ青な太い音出すぞ。

れがしぃくんはれがしぃくんでそれなりにはしっかりしたけども、効果はタワーバーの方があったかな?
なんか気のせいくらいにしか変わらんのだけど...(^_^;)。


1998年3月29日(日)...買い物。

珍しく完全マイペースで過ごせた1日。
洗濯して掃除してちょっと新聞読んで...でもうお昼。
ちょっくらお金が入ったんでロアアーム、リヤのタワーバー、エンジンオイル、クーラント、ウォッシャ液、ワイパーゴム、KTCソケットツールなんて買ったらあっという間に半分以上消えた(笑)。
ついでに2年以上ほったらかしてあった実家の部屋の片づけなんざしたもんだから、買ったものを取り付け/交換する予定だったのがワイパーだけしかできなくて。
うー、とりあえずエンジンオイルだけでも交換したいぞ。
3500rpm以上が渋くてかなわん。

しかし、大量消費したくせにまたプラグなんが注文したりする(笑)。


1998年3月28日(土)...箱根。

朝のんびり出発で伊豆方面へ。
なんとなく西湘バイパスから出かけて箱根ターンパイクを抜けてったんだけど、もうショックがすかすか(約43000km走行)なもんだから気持ち悪いったらありゃしない。
スタッドレスに真っ黒なエンジンオイルだったからおとなしく走ってたんだけど、助手席は酔うわ自分もちょっと酔うわでさんざん。
↑ふだんはあまり人を酔わさない運転らしいんだけどねー。

前後左右に揺れないように気を付けて運転しても、抜けたショックが上下の振動を吸収しないのはどうしようもないなぁ。

やはりここは一発、4本12.8万ちう格安ビルシュタインを入れるしかないかな?


1998年3月25日(水)...指定ナンバー。

ようやっとこの5月からナンバーの予約ができるようになるらしい。
とりあえずはどこでもってワケにはいかないらしいんだけど、それでも4000円前後で4桁のとこは指定したナンバーにできるらしい。

1111とか1234、777みたいのは人気番号ちうことで抽選なんだけど、そこに555も入ってるってのはなかなか。
やっぱスバリストはまず555!なのを知ってるのか(笑)?>運輸省

とりあえず、今のナンバーは気に入ってるから変えたくないなぁ。


1998年3月21日(土)...衝動買い。

最近、仕事がむちゃむちゃ忙しいんで衝動買いなどしてみたりする。
特別減税もあってちょっくら残業リッチマンかなーなんて勝手に思ったりなんかしたもんで。

で、ロアアームとリヤのタワーバーを頼んだんだけど、その後オイルとLLC交換してプラグもそろそろ替えてブレーキパッドも...と怒濤のようにやりたいこと・やらにゃならんことが出てきて。

なんだよ、結局貧乏ぢゃんか(;_;)。


1998年3月14日(土)...パラリンピック。

あっちう間に終わっちまいましたね〜。>パラリンピック
今までは存在すら知らない人が多かったのに、今回はテレビ局もびっくりするほど注目度があって。
見てるほうも「障害者を暖かい目で見守る」って感じじゃなくて、オリンピックと同じように「すごいやつらのすごいプレーを観戦する」って感じでとても良かった(^-^)。

「障害者だから」というのを意識せずにふつうにやっていけるのが一番だと思ってるんで、パラリンピックちうイベントだからってのもあるのかもしれないけど、みんなヘンに意識しないで観戦したりできたってのは非常にうれしいやね。

あとは日常生活でも当たり前のように共存できる世の中になればばっちりだ。
そういう意味ではパラリンピックなんてなくなって、オリンピックにアイススレッジホッケーとかが組み込まれていくのが理想かな、なんて思ったりして。

そういや実家出てから地元の青年学級に顔出せなくなったけど、やつらはどういう盛り上がり方してたんだろうか?
そのうちヒマ見つけて久しぶりに出かけてみよっかな。


1998年3月10日(火)...企業セミナー。

新宿駅から会社に向かってあるいてると、なんかスーツ着た若造(っておまえいくつだ?)がたっくさんおって。
ぞろぞろ並んでる列の先頭の方をみると企業セミナーみたいのやるらしい。

この御時勢だと就職は大変なんだろうなぁ。
うちらのころもちょうど氷河期に入ったころだったけどとりあえず2戦2勝だったし、世間一般はバブルがはじけたと言ってもまだまだそんなに実感なかったころだったんじゃないかって気がする。
今はもっとたいへんなんだろうなぁ。
うちの会社はそれでも結構人取ってるけど、今新卒で就職活動したら大学も出てないわしなんざ取ってくれるんだろうか(笑)?

で、思ったのはみんな顔が幼い。
年の頃は22〜3くらいなんだろうけど、学生さんだなぁって感じがありありと。
やっぱ雰囲気に出るもんかね。
彼らも1年後にはそれなりにしっかりした顔つきになるんだろうか。


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