いろいろ。

1999年7月〜8月のいろいろ。

戻るぞ。

1999年8月28日(土)...奥多摩。

ちょっと早起きして青梅経由で奥多摩に走りに行く。
普段はそんなこともないんだけど、B4-MLの人々が何人か集まるらしいので予告ナシの襲撃。

荷物ごろごろ積んでるけど、やっぱりたのしいね(^-^)。
MICHELINのMXMは鳴き出すのは早いけどそこからがコントローラブルで、スポーツとラグジュアリーを兼ね備えたいいタイヤ♪
ドライバーの方もだんだんそういうスピードレンジでの扱い方に慣れてきたらしく(って他人事のよーに^^;)、タイヤをちょっとでろでろにしつつも肩の減りが収まってきたのはいい傾向だね。こじってばっかじゃいくらタイヤがあってもかなわんし。

都民の森駐車場に到着すると、既に3台ほどのB4。
Provaのダウンサスがいい感じの紺B4、MLの管理者田中さんこと教祖様(あれ?)、18インチのBBSがかっちょいい黒B4のしーふぉさん、まじめそーな感じで車もノーマルだけど物欲に汚染されかかってる同じく黒のnobuさん。
第一声が「あー!どこにでも現れるというしまやさん!」(^_^;)。
そりゃ出没場所は多いけどさー(汗)。

しかし、たなかさんももっと繊細な感じの人かと思ったら、ヒロミっぽいワイルドな感じがなかなか意外。
逆に遅れて現われた黒B4のkakudenさんは意外とおとなしそーな人。
しーふぉさんはひとなつっこそうな感じだし、nobuさんは割と予想通りのまじめそうな人。

そんなこんなでいろんな話をして、バイトの為にたった20分で帰ってしまったしまやさんでありました。
みんなのB4にも乗ってみたかったけど、出来が良くて悔しくなるからそれもよしとしようかね。

帰りはいいペースで五日市側から下ってったけど、ちょっと制限速度で走るペースメーカー(ふつうの民間の車だよ)がおったおかげでちょっと遅刻してしまったとさ(ォィ)。

そうそう、ホントはおいらの車はグレーじゃなくてブラックマイカだかんねっ!
たまには洗わなきゃなぁ。


1999年8月24日(火)...雷。

雷でまた電車止まる。
MLでそういう話が入ってきたので、復旧を見越してちょっと長めに仕事をして帰る。
新宿駅について階段を降りると、ちょうど出発しようとしてる電車がいたので「ラッキー!」とばかりに飛び乗ったのが運の尽き、各駅で2つめの東中野で止まっちまいやがる。どうも雷であっちこっちイカれてるらしい。
「こうだと分かってれば西武線で帰ったのに」と思っても後の祭。結局は飛び乗れたのは不運でありました。

なんとか中野まで動いたら、アナウンスは「復旧の目処が立たない」とおっしゃる。
しょーがないので駅から出て、ひたすら定食屋をさがしてうろうろうろうろ、焼肉定食を食べて駅に戻ってもまだ動かず。
結局、家に着いたのは1:30くらいだったかなぁ。もっと遅かったかなぁ。
疲れ果てて時計見るまもなく寝ちったからよーわからん。


1999年8月21日(土)...お客様感謝デー。

お盆で2週連続部品抱え込まれたスバルのディーラーに、バイト中の配達帰りに寄ってみた。

お盆休み中に酷使された(?)車のメンテナンスやらなんやらと、お客様感謝デー(部品割引や景品プレゼントなど)が重なってエラい繁盛ぶりである。
周りをみると、やはり車の不調を訴える人やら商談をしている人やら。

そんな中で、頼んだ部品をお願いすると、30分くらいかかった(^_^;)。
うーむ、忙しいのはわかるけど、受け取るだけだからもちっとなんとかしてほしかったかな。
せめて「ちょっと時間がかかる」と言ってくれれば出直すのに(^_^;)。
細かい部品(強化ブッシュなどなど)をたくさん頼んだので、伝票上げるのに時間かかったんだろな。全部パソコンでいちいち入力してるみたい。
しかも、そこでスバルカード出したら5%引きになるもんだから、また伝票打ち直し(ゴメン^^;)。

長い休みを取り戻したいのはわかるけど、休み明けにお客様感謝デーはやめよーよ(^_^;)。
営業さんもサービスさんも忙しくててんてこ舞いになっちゃうでしょ?


1999年8月15日(日)...カート。

昨日に引き続き、今日はINDY主催のカート大会。←ただぞろぞろ行って走るだけやん(笑)

8:45にうちにビートが来るはずが、起きたら9時(爆)。
外を見るとちょっとぱらぱら降ってるから「ん?中止?」と思って、念の為に確認の電話を入れると「あー、今そっちに向かってるさいちゅー」。やはり...(笑)。

それから10分遅れで天王橋で村野を広い、拝島駅に着いたのも10分遅れ。でもちょうどみんなぞろぞろ集まってきて、結果としてぴったりなタイミングなあたり、さすがである。

U13ブルアテリミの激速男しゃうじん、最速ビートのINDY、プレリュードの木邨などなど、結構錚々たる顔ぶれでRA:飯能へ移動。

最初はハーフウェットだったけど、何本か走ってるうちにすっかりドライ。
しかし、みんなどんどん37秒台に乗っかるのに一人で38秒台前半からタイム縮まず。
おりゃレーサーってよりメカニックだもんなー(苦笑)。「やっぱ前輪がぐいぐい引っ張ってくんなきゃ」と言い訳してみたりなんかするけど、修行が足りん、修行が。

途中で医者様万丈さんが先週の看護婦さん2人引き連れて登場。
なんかいろいろとおもしろいことになってるらしい(謎)。

結局、4本走って1万円以上使っちまいました。
安全で楽しいんだけど、もうちょっと安ければなぁ。

その後一度飯能駅まで移動してから有馬ダムの温泉にGo。
うーん、名栗青梅線はホームコースにしてたのに、そんなん全然知らんかったぞ(^_^;)。
先日の大雨で濁流になった川を見下ろしつつ、閉館までの30分ぼけーっと温泉に浸かったのでありました。

移動中も移動中で、速い連中が集まってるんでいいペースで走れて気持ちよかったな。
しかも、赤信号で途切れておっかけるとき、前を走ってたしゃうじんが鬼のように速い(汗)。
ふだんソロでその道を走りにいくときの+30km/h(敢えて時速は書かづ^^;)ですっとんで行くもんだから、ついてくのがやっと。
いくらこっちが車重でハンデのあるワゴンとはいえ、「いやー、知らない道だから踏めなかったよ」とかいう男についてくのがやっととは...。
あの踏み方はキレてる(^_^;)。
ついでに言えば、車輌感覚とコントロールする能力が抜群。
俺が同じことしたら車ぼこぼこにしそう(汗)。
やはり腕磨かにゃいかんですわ。

夕食は8人で大皿パスタ3つとそれぞれ細かいもの頼んだら、ぎょーさん食って腹一杯になったのに1人1000円以下で済んだのでありました。
カートで出費したからこれはありがたい(^-^)。

それにしても、やはり速いヤツはすげーと再認識した1日でありました。


1999年8月14日(土)...大雨。

土曜だから会社は休み、バイト先もお盆休みで珍しくヒマな日。←それはそれでやることはたくさんあるんだけど。部屋の掃除とか(爆)。
とりあえず買った部品ばっかたまってくんで、クルマいじりでもしようと思ったら外は大雨(;_;)。

父親の工場に行けばなんとか車も突っ込めるんで、ミッションマウント交換とリヤサスのスプリング交換くらいはなんとかなるだろうと繰り出したら、工場の中が川になってる(;_;)。
こんなんじゃ車の下にもぐったら背中水びたしやん。
しかも狭山丘陵にひっついてる裏山がちょっと崩れたらしく、流れてく水が真っ赤っ赤(;_;)。

しゃーないので、先週梵天さんとこでもらってきたリヤのサスペンションアーム(トレーリングリンク)からぐにゅぐにゅの純正ブッシュを取り出す。
いや、現物みたら「げげ!そんなに柔らかいの?」って思うくらい柔らかいぞ、コレは。

これがまた柔らかいだけに弾力があって大変だわ(-"-;)。
直径5cm、長さ15cmくらいの鉄の棒を当てて30tのプレスで押したけど、伸びるばっかで押し出されも伸びもしやしない。
しょーがないのでゴム部にドリルでぶしぶしぶしぶし穴を空け、ニッパーでちょっとぶちぶち切ってからやったらかなり伸びたけどなんとかぶち抜けた。
残りをさらにぶちぶち切ってようやっと大穴が空き、残った金属のカラーは金鋸で切り落としてようやっと完了。

でも、そこに新しく打ち込むべき強化ブッシュはディーラーに押え込まれたままなので、今日の作業はここでおしまい。
↑6日(金)に入荷の電話があったけど、翌日土曜に行ったらちょうどディーラーお盆休み突入。しかも15日(日)まで9日間!
 いやー、舐めきってますな(苦笑)。スバルだけじゃん、そんなの。


1999年8月13日(金)...強行採決。

国旗国家法やら通信傍受法やらとどんどん決まっていきますな。
多数決で選出した国会議員が多数決で決めるんだから、1票の格差はあるけども国民の意志を反映してるんでしょう。きっと(苦笑)。

...なーんて、それならいいんだけどねぇ。
低投票率で少数意見の無視されやすい小選挙区制、しかも「俺はそんなことさせるために入れたんじゃねーっ!」って意見の聞こえてきそうな政党の豹変ぶりを見てるとなんつーか...(-"-;)。

右から自民党をけちょんけちょんに言う自由党に入れた人もいるだろうし、左側から反発する公明党に入れた人もいるだろう。
それが手のひらを返したように自自公連立とか言い出したら支持者は怒るに決まってるよなー。
そんな現状で「国民の皆様のご理解を得て成立させることができました」とか本気で思ってたらある意味スゴいぞ。

そんな状況で民主の動きは割とキーになるはずなんだけど、なーんか右から左からで全然まとまらずなんの役にも立ちゃしない。
もういっそ党を割っちゃった方がすっきりするんじゃん?
右な人達は加藤派山崎派を誘い出してくっつき、左な人達は社民とくっついて共産とも連携しながら動いていけばこんな無茶な状況にゃならんと思うんだけど。

とりあえず、国民の皆様方におきましては自分の支持政党が今国会でどう動いたかをきちんと覚えておいてほしいものですな。
「いつも世話になってる(地元の)先生」ってだけで票を入れると大変なことになるぜ。
それとこの状況を引っ張ってるのはなぜか支持率が上がってる小渕内閣だということも忘れんよーに。
白紙委任や「あたしゃ知らん、ぜーんぶお任せ」は現状追認だかんね。不満言う資格ナシ。
「誰がやってもダメ」でも、せめて消去法で100点満点の10点でも残ったとこにでも入れにゃ。

どーでもいーけどとりあえずはよ解散総選挙しーや。


1999年8月10日(火)...完全復活。

事故から2ヶ月、よーやっとばんでっとくんが完全復活(^-^)。

よーやっとミラーが入荷しました。
会社帰りにバイク屋でミラーを買ってすかさず帰って取り付け、借りてたミラーを返しに行くまで5分(笑)。

事故でかかった費用は...
オイル4179円(のうちの3/5くらい)
ブレーキレバー1000円くらい?
ドレンボルト+パッキン283円
ミラー6090円(左右合わせて)
...事故と直接関係ないミラーが一番高いじゃーん(;_;)。

なにはともあれ完全復活、うれしー(^-^)。


1999年8月8日(日)...合コン?

WRCFを早々に抜け(あまりお話しできなくてスマm(_ _)m>BC-BF MLのひとたち)、行徳なる方面へ更に足を伸ばす。←今日の件があるまで聞いたこともなかった(笑)

有明からは予想以上に近くて(事前に地図見とけよ^^;)時間が余ったので、ファミレスで水分と睡眠を補給して。

なにかっつーと、TBC(ビート持ってないのに組み込まれてる...^^;)のメンバーと、メンバーの外科医・万丈さんの病院の看護婦さん達と5:5の合コン。

なんか周り見ると双方ともに気合入りまくってるんですけど(^_^;)。
あたしゃ単に知り合い増えるのと飲み会は楽しいなーってだけなんで、「みんながんばれー!」みたいな感じで楽しんでおりました。
↑別に「気合い入ってる」って言っても目がぎらぎらしたりはしてないんだけどね。
盛り上げ役もいけらっちとまっつんが頑張ってたし。INDYは相変わらずみんなのおもちゃ扱い(笑)。

しかしまー二次会のカラオケに行くとみんなすごいね(^_^;)。
なんつーか看護婦さん連中は若いだけあって(?)勢いが違うっつーかパフォーマーだよなー。おじさんにはついていけませんわ(笑)。
その勢いについてくいけらっちも大したもんじゃ。
それはそれで楽しいんだけどねー。

看護婦さん3人帰って更に三次会突入。これがまた居酒屋チェーンみたいなところのカラオケ付き個室。これ、ホントに三次会なのか?みんなばんばん食べてるし。←おまえが一番食べてるんだろっ!

そんなこんなでお開きになったのが2時ごろだったよーな(汗)。
帰ってメール読んで書いて(だから寝ろよ--;)寝たら3時。

※後日談その1:
連日の寝不足が祟ってさすがに月曜は寝坊こきました(-_-;)。
午前半休取ってお昼から出勤〜。

※後日談その2:
万丈さんが言うには、おいらのことを気に入った娘がいてるらしい。
どーも5人の中で一番かわいいなーと思った娘らしい。
でもそーゆーつもりで行ったわけでもなく、まだなんとなくそーゆー気にもなれんので申し訳ないけどタイミングが合わなかったってことで。m(_ _)m

はー、おりゃなにやってんだろねー(苦笑)。


1999年8月8日(日)...WRCF。

有明でWorld Rally Car Festival。

6時起きで出かけてMASAぽんこばさんめろん(♂)さん達の555くらぶで知り合ったインプレッサ軍団と待ち合わせて現地入りしようかと思ったら、起きたら10時半(;_;)。
厳密には6時ちょっと前には起きたんだけど、もう5分寝たら何故か10時半だった、と(笑)。
さすがに1時間半睡眠はキツかったか。

どう考えても間に合わん(ていうかみんな既に現地入りしてる時間^^;)ので、開き直ってのんびりシャワー浴びて近所でとんかつ定食食べてのんびり有明へ。
強烈な日差しの中、黒い鉄板背負った車で東八道路を東へ東へ。
「遅くなったから首都高乗っちまえ」と思ったら、高井戸を出て間もなく事故渋滞。
しかもそれが初台まで延々と続いて。
こんなことならアンテナ伸ばしてVICS情報拾っとけばよかったな(苦笑)。そうすればいきなり降りたのに。
しかも、その事故ってのもちょっとつついただけみたいな感じ。とりあえず自走して道開けてくれよーってとこだ。
なんだかんだで現地に着いたのは3時前。

とりあえずBC/BF MLの人達は発見。ちょっとお話ししてから単独で会場内をうろうろ。
レプリカコンテストにはkinoppiさんの車が出てたり(本人見当たらず)、「おおっ、すげぇライトポッドだっ!」と思ったのが後からわかったんだけどIIEAのはやしさんの車だったりで賑やか賑やか(^-^)。
中には三菱マルボロカラーのビビオなんていう妙な車もいておもしろかったな。

んでうろうろしてるうちに六連星のつかぴいとみやさんの「やっぱりな人」コンビ発見。
しばらくいっしょにうろうろしてるうちにMASAぽんやめろん(♂)さんにも会って。
でもIIEAの人には会わなかったなー。
...って誰も会ったことないから顔見てもわかんないんだけど(ぉぃ)。
その他の555くらぶの人も、顔がわからず会ったかどうか不明(笑)。

それにしても暑かった...
せめてもうちょっと日陰作れんもんかね(^_^;)。
1日(ていうか1〜2時間)でまっくろけやぁ(苦笑)。

でもインプレッサやランサーのデモランとか見られておもしろかったな。
「あれくらいの車両コントロール技術があればなぁ」と思いつつ「あんなんしたらタイヤ減りまくるだろうなぁ」とも(笑)。


1999年8月7日(土)...フライホイール&クラッチ。

前日にshinさんからお誘いがあって、「梵天さんが6時半からフライホイール交換するのに人が足りないから手伝ってほしいみたいなんだけど」。
軽量フライホイール入荷待ちの俺様としては行かねばなるまい!...と思ったけど、店長が結婚式にお呼ばれとのことで1日店長をせにゃならんのでバイトが休めん。
「もっと遅くに夜やろーよ」と冗談で言ってみたら「昼間はシムスに行ってるから、渋滞で遅くなるかも」。

バイトが終わってすかさず梵天さんの工場直行。
20時半過ぎに到着したらちょうど補機類・排気系・駆動系を外してこれからミッション降ろすところで、タイミング的には待っててくれたかのようにばっちり(^-^)。

バイト帰りでどう見ても車をいじるような格好してないのに手を突っ込む。

いやー、しかし勉強になったわぁ。
↑結局手伝うっつーよか見物人(^_^;)
これ、知らずにいきなり作業してたら結構ハマったかも(^_^;)。
百聞は一見に如かず、やはり一度見てみるというのは大事なことですな。
要所のコツとかわかったし。

結局組み上がったのは深夜2時、それから試乗に出る。
いやぁ、いいクルマやわぁ。
扱いやすいしボディは硬いし動きもぶよぶよしないし。
うちのれがしぃくんもこういう車になれるんだろうか...

2時半に解散、3時半に帰ってメール読み書きして(寝ろよ^^;)4時半就寝。


1999年7月31日(土)...アンゴルモアオフ。

青梅でお線香上げて、すかさず国分寺の自宅に戻る...最中に、昭和記念公園の花火渋滞にハマる。
道広くねーんだから隙間なく縦列駐車すんなっ(-"-;)!しかもこんな離れた裏道みたいなとこでっ(-"-;)!チャリで出かけろチャリでっ(-"-;)!

更に狭い裏道を抜けて帰り着き、汗だくの体を軽くシャワーで流してから電車で新橋へ。
べっくらのアンゴルモアオフである。
1999年7の月でアンゴルモアオフ、なんと安直な(笑)。
べっくら管理人の台魔王ことなかにしさんの誕生日祝いとべっくら1周年記念てことで。

到着が遅れて途中参加になったんだけど...会場はもう大荒れ(^_^;)。
別に酔っぱらいとかそういうんじゃないんだけど、なんかすごかった...
今までのべっくらのオフ会とはちょっと雰囲気が違うんで、突入せんですみっこでおとなしくおとなしーく(笑)。
うにみそっちとか南東北のえぐぞぜさん達と小ぢんまりと盛り上がってました。
たまにあっちのほうのさつき先生と目が合って「にこっ」なんてして浮かれたり(笑)。

会場を出るころには台魔王様もかなり酔っぱらって手を付けられない状態(^_^;)。
アンゴルモアの大王が世界を滅亡させるってのはこれかってくらい(笑)。←大袈裟な^^;

そんな状況で脱落者が出ないように後ろからつつきつつ、駅前広場へ誘導して集合写真を撮って数名(って半分弱か)はお帰りの途に(^-^)/~~~。
中には気付いたらいなかった人もちらほら。

その後は例の如くカラオケ。
ここへ来る人達はほとんど徹夜覚悟である。
...が、ASさんいきなり寝る(笑)。
お疲れのようだから、隅っこに寝る場所を確保してあげたらぐっすりとお休み...と思いきやすかさずみんな積んでるし。
まったく容赦ない連中である(^_^;)。

本業がキツいので帰ると言ってた台魔王様も結局カラオケボックスまで来てるし(^_^;)。
へれへれなんで、一応終電の時間を聞いといてそれは逃さないように気を付けてあげたら...駅まで送ったところ、既に電車なし。
聞いた時間が既に酒の幻だったらしい(笑)。
カラオケボックスに戻る最中の「まったく今の大学生は馬鹿ばっかだ」と愚痴ってる姿に「日頃ストレス溜ってんだなー」とちょっと同情してみたりなんかして。
翌日の為に、ASさんみたく寝る場所を確保してもらったのはいいけど、またみんな積んでるし(^_^;)。

「いやー、べっくらって油断も隙もないですねー」と他人事のように言うふたつきさんに「そうだねー(ニヤリ)」と台になった彼の写真を見せると、うれしそーにのたうち回ってました(^-^)。全然記憶にないらしい(笑)。

かと思えばおちゃめなさつき先生はたかばやし@しょてんさんのわき腹をつついて遊んでるし、たかばやしさんはつつかれて喜んでるし(笑)。
なんかいい組み合わせだなぁ(苦笑)。

さつき先生が去り、呼び込みのお兄さんと言われたスーツ姿のJINJINさんが去って朝まで騒いでおりましたとさ。
↑2人ともシンガポールからよく来るよなぁ。JINJINさんはたまたま出張が合ったけど、さつき先生はほとんどオフ会の為の来日だし(^_^;)。

最後はいつも予約が9曲入ってて入り込めないんで、ぐーぐー寝てました。

明るくなって解散したあと、帰って2時間寝てまたバイトしてました。
お客さん少なくてヒマだった...眠かった...


1999年7月31日(土)...お線香。

BBQ後一度実家に寄って父親の会社名義のお香典預かってから、昔一緒にバイトしてた師岡ぽんと先日亡くなった知人にお線香を上げに行く。

裏の駐車場に車を停めに行くと工具や資材満載の車がまだそのまま置いてあって、「この車で工事行ったよな...」なんて思ってまた切なくなったり。

インターホンを鳴らして、出てきた奥さんはなんかきょとんとしてる。
「パソコンショップAOKIでお世話になった島谷と申しますが」でようやっとぴん!ときたご様子。
そりゃそーだ、(半分仕事で)ちょくちょくお邪魔してたのは5年以上前の話だもんなぁ。

おいおい、ウソだろ? あのガタイのよかった人があんなハコに収まっちゃうワケ? あれじゃ詰め込んでも入んねーべさ(笑)。
「そんなとこであにやってんだよ。早く上(2階)に上がってマシン直してくれよー」って現れるっしょ?
...でも写真は本人...

殺しても死なないような人が入退院を繰り返して1年、あっという間に逝ってしまったと奥さんはおっしゃってました。

お線香上げ、葬式に行って顔を見てたらその場でぼろぼろ泣いちゃっただろうなぁと思いながらそっと手を合わせる。


1999年7月31日(土)...BBQ。

連日のレガシィ方面のオフ会、今日は六連星のBBQオフ。
10時ごろから寄居の会場で流れ集合(?)だったんで、秩父越えで行こうと思ったら起きた時間がぎりぎり。
しょーがないんで高速を使おうと思ったんだけど、近いからってことで関越道所沢I.Cへ出てみたらこれが大失敗。
間もなく混みだして、エラい時間がかかっちまいました。
これならちょっと遠くても圏央入間あたりから乗ったほうが早かったな(苦笑)。青梅から鶴ヶ島だってふつー7分もあればつくし(ぉぃ)。

しかも花園で降りてからナビに任せてったら、河原でやるはずなのになぜか田んぼのどまんなかに案内され。
会場はさいたま川の博物館のそばなハズなんで、ここの電話番号だけメモってナビに打ち込んでたんだけど、よく見たら目的地がそれの準備室(建設省かなんかの)とかなってる(汗)。
しょーがないんでかわ博を探すべくうろうろしてる最中、土橋さんに目撃されたらしい。「あの車はパパのお友達で、しまやさんって言うんだよ」とか子供に説明してるあたり、いいパパだよなぁ(笑)。

なんとかたどり着いて河原に降りていったら「あ〜〜〜〜っ!昼間なのにしまやさんがいる〜〜〜〜っ!」とか言われて(笑)。
↑六連星は夜の夢庵でドリンクバーで粘るオフやら新宿で仕事帰りの呑みオフばっかで、昼間に車で参加は初めて。

今まではあまりバイト休むと申し訳ないってのと経済的にキツくなるてので月に3日くらいに押さえてたんだけど、その貴重な休みをオフ会に充てると彼女がぶーたれるし誘っても行かないっていうんで、昼間のオフ会はほとんど不参加だったんよね。
それから開放されて、気兼ねなく動けるって気楽でいい鴨。
とーぶん悠々自適な生活を送るかな。
あと、次に付き合う娘はいっしょにオフ会に遊びに行くような社交的な娘がいいなっ(笑)。

昼間しかこれない人達(どっちかってーとこっちが普通だよな^^;)にもたくさん会えました(^-^)。たくさん会えすぎて名前が覚えきれなかったりしたけど(笑)。

それにしてもすごいいい天気で、暑くて暑くてかなわん(-_-;)。
水ぎわ装備(短いズボンにサンダル)がなかったのがかなり辛い。
つかPとかなべさん達が膝まで川に入ってるのがうらやましいったらありゃしない(^_^;)。
南場さんの上半身裸でジーンズのまま進入していく根性を見習わねば(笑)。

暑いのきらいなのと、しばらくこういう活動してなかったのとであまりお手伝いもできずにひたすら飲んで食ってました。
あれだけ食べて(しかも余って^^;)1400円てのはスゴいよなぁ。

車といえば、ワゴンGT-B航空自衛隊仕様(?)だったハズの小芝さんがセダンRSで登場。
MLでは匂わせてたんだけど、ホントにセダンになってるとは...(^_^;)。
そこで取り出した1枚の写真、GT-Bがひっくりかえってる(-_-;)。
「おおっ、空自、曲芸飛行に失敗したか!?」とかいいながら聞いてみると、なんと横転じゃなくて縦に180度回ったらしい。頭から落ちて。
それでも本人無傷なんだから大したもんだ。>レガシィ。

恒例のじゃんけん大会では玉田さんがリレーとリモハザ工事を商品に出してまして、炎天下で汗だくになって工事してました。
だいたいわかったから、今度工事しよっと♪

その後も用事が詰まってたんで、子供たち参加のスイカ割りで今年初のスイカをいただいてお先に失礼したのでした。

帰りはR140で長瀞から秩父へ抜け、R299→名栗青梅線を爆走(not 暴走)して帰りましたとさ。
最近思いっきり走る機会が増えてちょっとうれしい(^-^)。
タイヤ減るけど。←もちっとキャンバー付けなきゃ。


1999年7月30日(金)...お好み焼き。

Play with LEGACYのむろりんさんが山口転勤とのことで、お好み焼き屋で送別会。

冷房もほとんど効かずきょーれつに暑い中、お好み焼きを食ってました。
ビールがススムススム(^_^;)。←ふだんあまり呑む人じゃないのに

主賓のむろりんさんはあっちこっちの席を転々としながら、物欲サポートの激励を受けたりなんのかんので結構うるうるきてまひた。
さすがに「ちょっと会いに行こうか」ってんには遠いしねぃ。
ま、世の中オフ会だってだけで福岡やシンガポールから東京まで来る人はいるけど、「車で」だとちと辛いしね。

そういう事情(?)はあったけど、あとは基本的にいつものP.W.Lのメンバーの集まりで、濃い〜のから薄い〜のまでレガシィ談義に花が咲きましたとさ。

山口でも頑張ってね(^-^)。>むろりんさん


1999年7月29日(木)...死。

朝っぱらから師岡ぽんから電話。
こんな時間にかけてくるとは役所のサーバがトラブったか?と思いきや、彼の口からは余りにも予期せぬ事が。

バイト先で高校生のころからかわいがっていただいてたお客さんが亡くなった。

店の社長に「ゴリラみたいな」と言われるくらいガタイもよく、面倒見がいいけど知らない人には「あの人ヤクザの親分だから怒らせないほうがいいよ」っていうと信じちゃうような人だったから、あまりにも意外すぎて言葉が出なかった。

どうも癌で1年くらい入退院を繰り返していたらしいのだが、全然知らなかった。
最近お店に顔を出さないのは、仕事が少なくて「なんか買うでもないのにお茶ばっか飲みにいくのは悪いから」ってのをちらりと聞いてたんで、らしいなと思いつつ「お茶だけでいいから遊びに来てくださいよー」なんてことを言ってたのはもう1年以上前のことになるのか?

仕事で使うからってんでHyper98とかAutoCADとかA1のプロッタとか100MBのシリコンディスクとか高額商品をぽんぽん買ってくお得意さんであり、よくお店でお茶飲みながらいろんな話をしてくれるおもしろい人であり、国体に出たりこの辺の大会では必ず優勝に絡んでくるようなクレー射撃の名手であり、口は悪いがなかなか子煩悩なオヤジさんであり...

何度か「なんかパソコンの調子悪くなったから面倒みてくれよ」ってんで、その人のうちへ出かけて徹夜で復旧作業をしたことが思い出されたり。
そう言われるとどうにかしてあげたいって思うようないい人でした。

ガス配管屋さんで、結構な日当で何度かアルバイトで現場に連れてってくれたこともあったなぁ。
印刷配管屋もやる俺に「おまえさんは一通りできるから、職人を一人駆り出したと思えば安い安い。差額は俺がピンハネするからよ」なんて笑ってたな。
きっと本人は「ふだんいろいろやってもらってるから、こうでもして還元してやらんと」と思ってたんだろうな。別に俺はそういうつもりでやってたわけじゃないんだけど、見かけによらずエラく気配りの人だったから。

忙しいときに何度か父親の仕事を手伝ってもらったりもしたんで、電話で知らせたら思いっきりひっくりかえった声で「えっ?」と言ったまま数秒凍ってた。
やはり同じような印象を持ち、同じようにびっくりしたのだろう。

実のところ、これだけ親しい人を亡くしたのは初めてなんでかなりショックだ。
小学校のころ転校してった仲のよかった友人が転校先の高校でバイクで死んだとか、小さいころに年に数回顔を合わせるくらいだったじいさんが死んだのとはちょっと違う。
バイト先のお客さんとはいえ、ちょくちょく顔を合わせて話す仲のいい友達のような、よく面倒を見てくれる兄貴分のような感覚だったから...

まだ50そこそこ、2人の子供さんもまだ小学生とか中学生くらいなはずだから無念だったろうなぁ。

またいろんな話を聞かせてほしかったけど、叶わぬ夢になってしまいました。
上田さん、ゆっくり眠ってください。
合掌。


1999年7月23日(金)...国旗国歌法案。

国旗・国歌を定める法案が委員会で13時間の審議を経て、無事衆院通過。

...なんて素早いんでしょ(苦笑)。

日の丸も君が代も反対せんけど法律にするのは反対の人、国旗・国歌を法律にするのは賛成だけども君が代は許せんという人が結構おったハズなのに。
国民の間でもどうみてもどっちも賛成って人はそんなに多くはないよね。
ちなみに俺は法制化には反対せず、日の丸も桶、でも君が代はちょっと考えたほうがいい鴨って人。

そもそも国旗・国歌って実害はなくても気分的にとても大きな問題だよね。
それがほとんど卒業式とか教育現場でモメるから法律にしちまおうっていうだけのノリで進められるのはどんなもんかね。
きっかけだって広島の校長先生の自殺なわけでしょ? あれから突然巻き起こってたったの半年。

国民投票で意見を集めてもいいような問題が、現場の混乱を減らすってことでほとんど先生や生徒の信条を押さえるためだけにさっさと片づけられるってのは問題じゃないかね。出た結果の如何を問わず。

それでも内閣支持率上がってるんだから、それもおっけい!ということなんだろうな、たぶん(苦笑)。

毎度のことだけど、環境問題とか行革税制改革なんかもこれくらいびしびし話が進めばいいのにねぇ(苦笑)。


1999年7月22日(木)...東芝問題。

鰻上りとはまさにこのことだな、ってくらいすさまじいアクセスカウンタの増え方をしてたこのサイト、東芝側がついに折れたようですな。

一般のマスコミにも煽られてあっという間に広がったこの問題、インターネットのすごさと怖さを垣間見たような気がする。

たしかに当初の東芝の対応は悪かった。
メーカーなんて所詮そんなもんだというのはあるけど、誉められた対応ではありませんな。

でもこの人の後の対応もなんかねちねちしつこくて、途中から応対した人もウンザリするだろうなぁとも。
「折り返しお電話します」が5分か10分後には掛かってくるもんだっつったって、相手がヒマなマイナーメーカーならともかくりんりん電話鳴りっぱなしであろう東芝相手にそれはないべさ。そういう無理言わんとせめて1日くらい待つとかさ。
各部隊ごとにサポート窓口を置けるでもなく(マニュアルに書いてあるようなことも開発担当に聞かれたらたまらんだろうな)、まず最初は窓口で一括して受けてかにゃならんので、知識ベースに問題があるのもしゃーないべさ。てきとーなことをでっち上げるのはよくないけど、ピンからキリまで知り尽くしてる人なんてメーカーとは言えそうそういるもんじゃない。

で、そういうとこをつついてったもんだから応対が総会屋対策の部所に任されたっつー話ですぜ。←いや、これも直接聞いた話じゃないんでアレですが。
相手が総会屋じゃ下手に出れば負けだから、怒鳴り飛ばされもするだろうなって思ったりするわけだけど(実際に総会屋対策としては適切な対応らしい)、たまたまそれが一般のお客さんだったってのが東芝の不幸っつーか間違いっつーか。

ま、それは置いといて、この問題で気になったのはみんな書いてあることをそのまま鵜呑みにしすぎ。マスコミもふつーの人も。
お互い行き違いや誤解もあるだろうし、それぞれの事情があるだろう。
でも今回の件についてはこの人のページに書いてあることだけが事実であるかのような広まり方をしたな、という印象を受けるのだ。
そんな事情をいろいろ考えた上で「東芝のサポートってひどいな」ってんならわかるけど、あの音声ファイルを聞いただけで「東芝って」ってのはあまりにも短絡的に過ぎると思いません?
マスコミも双方の当事者に当たるでもなく、そのページだけみて記事にしたりさ。
って俺も確実にいろいろと裏取ったりしてから物事を書いたりしてるワケじゃないんで大きな事は言えんのだけど、どっちもどっちだよなって印象を受けたのでありました。
これを読んでる皆さんはどう思わはります?


1999年7月20日(火)...バイク復活。

昨日、ようやっとドレンボルト入荷。
丸2週間かかりましてん。
ちょくちょく早めに仕事切り上げてはバイク屋に寄って、の生活から開放された!ってのは、「入ったら電話ください」にしとけば済んだってのはナイショだ(苦笑)。
でもそんなかかると思わなかったし、「明日こそ入るだろう」ってんでめんどくさかったんだよん。

で、バイト終わってから例の如くINDYにクルマを出してもらって現場行き。
ブレーキレバーはもう直してあるんで、ドレンボルトを締めてオイル注ぐだけで復活。
オイル落ちきっちゃって掛かりが渋いかと思ったら全然そんなことない。
さすが3000km未満の新車(爆笑)である。

お隣のブルーのRZくんは放置されたままでとても寂しそう。
盗まれて放置されたんだろうか...
現場を離れるときにちょっと胸が痛む。

ビートの後にくっついて久しぶりのバイクを堪能する。
ばんでっとくんも薄暗いところに半月も放置された寂しさから脱出できたせいか、エンジンがよく回る回る(^-^)。
前回はシントロン(5W-50)入れてたんだけど、今回はRS(10W-50)にしたせいか、フィーリングがよくなりました。
レガシィにはシントロンがよかったんだけど、やっぱ相性だね。
ボクサーエンジンはキツく組まれてるから柔らかい方が、バンのエンジンは非常にルーズな印象があるんで固めのほうが向いてるのかもしれん。
4980円/4lのフラッシングオイル(苦笑)は高かったけどよしとしよう。

ところがしばらく走って異変に気付く。
「なんか400(Banditは250はアップハン、400はセパハン)みたく姿勢が低いなー」と思ったらミラーがない!( ̄□ ̄;)
盗難防止装置つけてたとはいえ単なる感度の緩い衝撃センサーだから、半月も放置しとくほうが悪かったっちゃ悪かったんだけど...

結局、ドレン+ワッシャで200円以下、ブレーキレバー2000円以下、オイル4000円で済んだかと思ったらミラーが左右で6000円かいっ!

それでも奇跡的な軽傷ではあるんだけど、なんか納得いかんなー。


1999年7月16日(金)...税のグリーン化。

最近、環境問題がいろいろ話題になっておりまする。
非常に結構なことでありまする。

自動車方面でも当然そういう話が出てきますな。
燃費によって税金を分けようってやつ。
ま、環境に悪いクルマからはたくさん税金を取ろうってのはええんでないですかね。
と、ハイオクでリッター7kmしか走らんクルマ(ドノーマルのころはエアコン入れると6km/l割った^^;)に乗る人は思うのです。

でもさ、燃費で決めちゃって持ってるだけで取るってのはどんなもんかね。
リッター15kmで年間3万キロ乗る人と、リッター3kmのクルマで年間5000kmの人、どっちが環境にキツく当たってるかって考えると微妙なとこですな。
排ガスの成分のお話しはありますが、既に値段の半分が税金なってる燃料に更に乗っけるのが正解じゃないかなーと、350km走って満タンにすると5000円近くかかってしまう人は思うのです。

そりゃーたくさん税金取られるのはヤだけどさ、こればっかりはしょーがないよね。

でもさ、その前にもっとやることあるんじゃない?
ディーゼルなんか黒煙もくもく出してるクルマたくさんおるやん。
どーみても環境に悪そうなのに軽油なんて安いよねー。
そりゃ物流やら建築やらの中枢を担ってるのがディーゼルのトラックだったりダンプだったりするワケで、その辺に負担させると物価高騰を招くとか業界からそっぽ向かれると選挙が厳しい(そんなことは知らんよ-_-;)とかで実現はせんのだろうなぁ。

それと、古いクルマは税金高くして乗り換えを促そうって思ってるらしいけど、クルマ1台作ってクルマ1台潰すコスト(お金じゃなくて環境の話ね)ってエコカーに乗り換えたことで得られるものよりでかいんじゃないかね。

どういう方法を取ろうとみんな痛みを負担してかにゃならんのだから、ヘンなしがらみに囚われずに一番効率のいい方法を取っていただきたいものである。


1999年7月14日(水)...山花貞夫逝去。

社会党の委員長とかやってた山花さんが亡くなったとのニュース。

彼は確か中選挙区時代の東京11区選出なもんで、街中によくポスターが貼ってありました。
委員長になったときは名前と顔だけはよく知ってる人だけに、「うーむ、こんなとこからそんな人が出るんか〜」と思ったもんだす。
↑って石川要三さんも同じ選挙区だったけど、こないだ落選するまで偉かったことを知らなかった(笑)。
そういや公明党の浜四津さんもポスターでよく見たな。

で、民主党ではあまり名前も聞かんかったんで存在すら忘れてたけど、こうして訃報を聞くとちょっと寂しいものがありますな。
63才、まだまだこれからだってのにねぇ。

ご冥福をお祈りします。


1999年7月13日(火)...大雨。

朝からどしゃぶり。
駅まで徒歩15分なんだけど、家から5分にして既に腕と腿から先がずぶぬれになっちまいました。

でも新宿に着いたらうっすらと日差しが。
なんかくやしいなぁ(^_^;)。


1999年7月10日(土)〜11日(日)...CASHMERE LIFE。

昼間はふつーにバイトして、夜から伊豆でCASHMERE LIFEのオフ会に参加。
20時に羽村を出発、渋滞にはまりつつR16を南下して八王子を越えるのにかなり手間取り(21時ごろ通過)。
R129を更に南下、小田原厚木道路を非ノーマル車ならではの人には言えないような速度で駆け抜け(アライメント調整とブレーキ強化しなきゃなぁ)、R135をどんどん行く。

いやー、こうして一人で好きなだけ走れるっていいねぇ。
2人だと重いし酔わさないようにおとなしく走らなきゃいけないからなぁ。
いつのまにやられがしぃくんもいいクルマになったじゃないか!
↑いや、元々いいクルマだけどね(笑)。

潮の匂いとようやっとひんやりしかかったちょっと湿気っぽい風に包まれて、海岸沿いのワインディングをひたすら走り現地に着いたのは23時ごろ。

先日お好み焼き屋で顔を合わせたばかりの主宰:shinさん以外は顔を合わせるのは初めてな人達ばかりかと思ったら、当日帰りってことでIMAさんロビンさんが。
他にはKO-Bさんたかしさん梵天さんにくまさんなどなど、あっちこっちのBBSやらMLやらでお世話になってる強者な人々と、深夜まで走りやら改造やらのマニアックな話題から、ナビやらオートキャンプやら風俗(!?)やらの一般的な(?)話題で盛り上がり。
会った瞬間は一瞬「えっ!?」と思っても、話してるうちに「あぁ、やっぱりそうだ」というオフ会の醍醐味を目一杯味わうことができました。

話は延々と続き、消灯は3:30ごろ。

6時にならないうちに起き出して撤収。
どーでもいーけど雨がすごいぞ(^_^;)。

伊豆スカイラインを、とても雨とは思えないような速度で突っ込んでく人達についていく。
...みんな速すぎ。

当日組の集合場所・亀石峠に着く頃には雨も上がり、既に到着していた人達と「初めまして」を連発。
でもさすがに覚えきれん(^_^;)。
なるくんとか調布市のKAZさんあたりは面識があるからわかるんだけどねぃ。

そんなこんなで、車を色別に並べてく。
稀少なカシミヤイエローが7台もいるなんて絶対おかしいぞっ(笑)!
圧倒的に売れた白より多かったし。
黒は1台でちょっと寂しかったかな(^_^;)。BFも1台だけ。
銀はトミカバンパーが3台とかほとんどプローバコンプリートみたいなB4とか、見かけが怪しい車が多いのはなぜ(笑)?

一斉にボンネットを開けてかわるがわる覗き込む図は一種異様なものがありました。
↑とかいいつつそれに加わるヤツ。

これだけ揃って同じ仕様が1台もいないってのはおかしいよなぁ。
街中で10台捕まえれば8台は同じなはずなのに(笑)。

それから色ごとに湯河原峠へ移動。
対向車はびびったろうなぁ。
カシミヤレガシィが7台行ったかと思えばシルバーが8台(1台フォレスター)、白7台(1台インプレッサ)、紺7台、黒1台がぞろぞろと。
峠なもんで崖の下に行く先が見えるんだけど、視界の範囲は全部レガシィ(爆笑)。

湯河原峠に着く頃にはまたもや豪雨、しかし負けずに車談義に花を咲かせる人々。よくやるよなぁ。←他人事のように言わない(自爆)。

レストランで車談義をしつつ食事を摂り、また車に戻って話し込んだりレストランに戻って話し込んだり。

そこで人馬共に走りのスペシャリスト達、たかしさんと梵天さん、くまさんの車(の助手席/後部座席)に乗せてもらう。

...うーん、乗るんじゃなかった(苦笑)。

彼らは物欲が先に行くんじゃなく、自分の走りに足りないところをきちんと押さえていくから非常にレベルの高い車に仕上がってるんだよね。
もちろんみんなBGだからBFとはベース車両の持つポテンシャルが違うってのはあるんだろうけど、かなりショックを受けました。

しかも3台が3台同じ車とは全く思えないほど性格が違ってる。
これはおもしろい!

「後はマウント類を強化すればおしまいかな」と思ってたけど、やらなきゃいけないチューニングメニューがどばっと増えました。
ブッシュを強化品に総交換、フロントを2cm落としてリヤスプリングをちょっと柔らかいのに交換、スタビ強化、スタビリンクのピローボール化、ブレーキを1サイズ大きくして等長エキマニに軽量フライホイールか。
まいったなぁ、金ないのに(^_^;)。

そのまま流れ解散で、雨の箱根をのんびり走る。
なにも考えてなかったけど、途中から御殿場へ進路変更。
ワイパーを一番速くしても50km/h出せないどしゃ振りの中、山中湖へ抜けるのに間違って有料道路に。
山中湖で降り、ひじょーに眠いので車を湖畔の駐車場に止めてトイレを済ませて車内で30分ほどお休み。
起きた頃には雨も上がり、河口湖方面へ走り出す。
このころから車がだんだん減ってペースが上がる。
御坂から塩山を抜けるころには路面もすっかりドライになり、R411を奥多摩に向かって全開アタック!
まばらにいた車もみんなすぐ追い越させてくれて(別にプレッシャーかけたワケじゃないぞ)、高速コーナーから駆け上がりの連続タイトコーナーを駆け抜ける。
ロールは大きいしブッシュがぐにぐにするけど、BILSTEIN+BESTEXがしっかり支えてくれるし大森すぺしゃるがガンガン引っ張ってくれるので安心して踏んでいける。
外前輪にきっちり荷重をかけてコーナーに進入、RECAROに体を預けてアクセルを開き、前輪でぐいぐい引っ張る。
またもや「ふふふ、れがしぃくん結構イケるじゃん!俺のチューニングメニューは間違ってなかったな」とにやけつつ、更に踏む。
いやー、こりゃたまりませんなーっ(^-^)。

再度睡魔に襲われたんで、奥多摩湖の駐車場でまた1時間オヤスミ〜。

いつも混みがちな青梅への道も空いていて、快適ドライビングを楽しむことができました。

それにしても充実した1日半だったなぁ。
れがしぃくんとこんなに楽しく走ったのっていつ以来だ?


1999年7月9日(金)...ボーナス。

よーやっと会社のボーナスが支給されました。
例年と比べると1ヶ月遅いのかな?

支給額を見て電卓叩くと、事前通達より0.15ヶ月ほど多い(^-^)。
なんかうちの部は最後の追い上げで赤字脱出したらしいけど、それが効いたのかな?
金額的にはほんのちょっとの違いでも、予想より多いってのはうれしいやね。

でも金より愛をくれーっ(笑)!
いや、今は当初の計画通りビート購入に踏み切れるだけのボーナスがほしかったかも。

でも贅沢言っちゃいかんね。
出るんだから感謝せにゃ。


1999年7月7日(水)...ドレンボルト。

月曜に頼んだバイクのドレンボルト、メーカーに在庫があれば水曜に届くってんで寄ってみました。
20時まで(それでも大抵21時くらいまでやってる)なんで、ちょっと早めに退社したのはいいんだけども入荷してなかった(;_;)。

車ではたまに交換しろってなってるけど、バイクはあまり換えないのかなぁ。
まさか在庫がないとは思わなかったんでちょっとショック。

ちうことで、ばんでっとくん復活は延期になりました。


1999年7月6日(火)...べっくらミニオフ。

Level-7Gさんが石川県から出張で出てくるというんで、べっくら(Becky! User's Club ML)のミニオフ。
会社から5分のところが集合場所だったんだけど、何を思ったか1時間早く退社しちまったのはナイショだ(笑)。

しかし、ミニなはずなのに、気がつけば2桁集まるあたりがべっくらだよなぁ(笑)。
更にPalm/WorkPadがぼろぼろ出てきて赤外線でデータのやり取りをしてる図もなかなか怪しくてべっくら的であります。
とりあえずWorkPad買うしかないっす(笑)!>なかにしさん

ASさんはまぐろ納豆再注文(俺が頼んだのに食べないうちになくなってた^^;)のタイミングで現れるし、本田さんはやはりケダちんと同一人物だったりと、やっぱりいつものべっくらであります。

一次会終了後、なぜか恒例になってしまった胴上げ。
でもあの人数じゃ胴上げってよか数名で持ち上げるって感じ(^_^;)。

二次会に突入しようかという時に事件発生!
幹事なかしに氏が爽やかな笑顔で脱出したのだ!
いくら終電が近いとは言え、塔を築かないうちの退散は反則であろう。
胴上げ以上に欠かすことのできない恒例のイベントが執り行われなかった当オフ会はまさに画竜点睛を欠くものになってしまったじゃないかっ!
台魔王っ!読んでたら反省したまへっ(笑)!

んでいつものようにカラオケに流れた...かと思いきや、またもや1曲も歌わんうちに脱出する者数名。
やはり明けて平日ってのは無理があるか(^_^;)。

個人的に勝手にT-BOLANを片っ端からというテーマを決めてやってると、カラオケクラッシャー・佐藤@Nervさんが「しまやさーん、実感こもってますねぇ(笑)」。
T-BOLANてラブソングが多いんだけど、それが心情的にマッチしたのは偶然。
『涙の笑顔』なんてのはモロにはまりすぎた曲だったりするんだけど、すかさずツッコミが入るあたり、やはりべっくらである。
主題が「Level-7Gさん迎撃」なのはいいんだが、副題がしまやさんの失恋記念みたいな感じだもんなぁ(笑)。
ま、そうやって傷口に塩を擦りこまれて笑い飛ばしたら元気になったんで、また仲間のありがたさを感じたりするのでありました。

そのカラオケ屋も追い出されて三次会もカラオケ、そこも追い出されてファーストキッチンで時間を潰して解散と相成りました。

ほいで、会社に戻って寝ようにも6時過ぎじゃ開いてなさそうだし、うちに帰るのがめんどくさいし(徒歩15分を往復はだるい^^;)で、中央線で寝てました(笑)。
新宿-高尾-新宿間で2時間ほど寝て、研修中でさえ記憶のない8時台前半の出社となりました。
さすがにきょーれつに眠かった...(^_^;)。

でもおかげさまで気分的に復活したんで、これくらいは桶桶♪てなとこかな。

しかし、徹夜なんてべっくらのオフ会に参加するまではほとんどしたことなかったのになー(^_^;)。


1999年7月4日(日)...ボーナス。

バイト先でボーナスをいただいた。
なんと会社のそれの半分である!!
↑額はいつもと同じ、要は会社のが落ちたってこと(^_^;)。

いつも大事にしてもらってるのはわかってるのだが、所詮バイトなのにと思うと毎度ながら恐縮してしまう。

...のだが、なーんかあまり嬉しくない。
昨日のことがあったばかりので、社長には申し訳ないけどぽんと収入があっても虚しさが残るのだ。
金はいいから愛をくれ〜〜〜ってとこか(笑)。

しかも、昨日は買ったばかりのWorkPad c3に早速いろいろ打ち込んでみたのを転がしたまま配達に行ったのを覗かれたせいか、社長におもしろがって「しまやくんの彼女、○○さんていうんだろ(ニヤ)?」とツッコまれ。
もっとも自身がツッコミ屋ながらもツッコまれるのも好きな人なんで、サクッと「いやー、昨日別れちゃいましたけどねー」と答えると「もうかよ、早いな(笑)」。
「早いって、2年以上付き合ってたんですけどねー(^_^;)」。
「結婚するんじゃなかったのかよ」、「そんなん言ったことないじゃないすか。それにこっちがそう思っても思ってくれなきゃ話は進みませんて(^_^;)」。

ザクザク突き刺すような茶々入れ歓迎(笑)。

夜は夜でINDYとバイクの修理に。
ブレーキレバーはINDYに昼間のうちに買っといてもらい、ドレンはとりあえずバイトの帰り際にドライバースタンドで14mm径ピッチ1.5mmのを買ってみた。オイルはオリンピック(ディスカウント店)でカストロールのRS。

ヤツのビートで行ったんだけど、オープンカーはいいねぇ。
真上からサイド、リヤにかけて空・空・空。
この開放感は何にも代えられない。
INDYといつものようになんか叫び、大笑いしながら走る。
この楽しさはビートならでは、かな。

とりあえず現場でブレーキレバーを交換。
油圧式なもんだから、あまりにあっけなく完了。
INDYはSR400を、俺はなぜか自転車のクセでお互いなんとなくワイヤー式のつもりでいたのがまぬけである。
ドレンボルトはピッチが合わないので、注文したドレンが届くまでとりあえず軽く締め込んで安いオイルを入れとこうか(ボルト交換時にはオイル抜けちゃうんでいいオイルだともったいない^^;)ってんでまた黄色いオープンカーに乗りこみ、ドンキホーテ(深夜も営業のディスカウント(?)店)を目指す。
ところが環八を逆に走ったため、かなりの時間をロス(笑)。
右折すればすぐの所を左折して渋滞の中をどんどん行ったもんだから、20分以上無駄に。
ドンキホーテであまり安くないオイルを目の前に、「RSもどうせ全部は使わんし、前回のシントロンも残ってるからとりあえず半分入れてそろそろ帰ればいいや」という結論を出して手ぶらで現場にUターン。
ところが戻る最中に大粒の雨が降り出し、そのまま帰ったのでありました。

走ってるだけで楽しい車で勘違い計算違い続出の大笑い、気分的にこの男とこの車の存在にはいつも助けられてばかりである。

ふぅ、ビートほしいなぁ。


1999年7月3日(土)...続き。

彼女の車を見送り、愛車のレカロに身を沈めてイグニッションキーをひねった瞬間、INDYから電話。
まるでドラマのようなタイミングである。
彼は数年前に別れながらもちょくちょく電話かけてきたり会おうと誘ってきたりというよくわからない娘(これがまたむちゃむちゃかわいい^^;)に会いに行ったようだ。
↑結局またすっぽかされたらしいのだが。何年も何年もよくやるよなぁ。

「わはは、俺なんかたった今別れ話をしてきたばっかだ」と言うと、いつものひょうひょうとした調子で「ありゃりゃ、それは大変だったねぇ」。

持つべきものは親友である。「こいつ、ホントに大変と思ってんのかいな(^_^;)」てな感じのいつもの調子に非常に救われた。
本人はそこまで考えてはいないのだろうけど、これがこの男の持ち味である。
どんな状況でも愚痴るワケでもなく(いや、たまに愚痴ってはいるのだがどこか楽しそう)、そんなもんだと割り切って先のことを楽しむかのように探っていく点に於いて見習うべきものがあるのだ。

そんな彼と「お互い大変だねぇ」と笑い合って、何かふっきれたような気がして数百メートル離れた自宅へ戻る。

ベッドに倒れ込み、横になって放心。
自分で導き出した結論だってのに、なんだかなぁ(自嘲)。
やはりなんだかんだいいながらもやはりショックなのである。

ふと「なんで俺は一人でこんな所にいるんだろう」という思いに駆られ、あっちこっち(と言ってもホンの数人)に電話をかけまくった。
それでもメールアドレスは知ってても電話番号を知らないヤツやら妻帯者やらが多く、実際にこういうときに電話かけられる人間は限られてくるってのがまた情けない。
普段から電話なんてほとんど使わんのがこういうときに効いてくるとはなぁ(苦笑)。
しかも誰も捕まらんのでさっき別れたばっかの彼女(元、か)とか昔付き合ってた娘にまでかけてみたりするあたり、取り乱してるよな。←結局どちらもつながらず(笑)

どーしても一人でじっとしているのに堪えられず、車のキーをつかんで飛び出す。
とりあえずバイクの状況を見に行くことに。

東八道路をちょっと人には言えない速さで駆け抜け、3日ぶりの御対面。
やはり症状は浅く、部品2点だけで収まりそう。
一応ドレンボルトが落ちてないか探してみるが、やはり行方不明である。

そのころにはそこそこ落ち着いてのんびりドライブ気分で帰宅、ばたんきう。
非常に疲れる1日だった。


1999年7月3日(土)...別れ。

2年ちょっと付き合ってきた彼女と別れた。

ここ半年くらいうまく噛み合わなくてケンカすることが増え、距離を感じて不満が積もって来たからだ。
彼女は非常に理想が高く、ただでさえ多忙な教員という職にあるのに更に職場の意識改革までやっていこうとして人並み以上の仕事をわざわざ抱えこみ、2人で逢ったり電話する時間どころか睡眠時間も削って学校で倒れるくらい無茶をしていたわけだ。
ただ、俺としてはそんな状況でも(だからこそ)頼ってもらえるわけでもなく、逆にそんな時間を取ることさえも疎ましがれるのに堪えられなかった。
「同僚と夕食を摂ったり呑んで明け方まで駄弁ってる時間が取れるならせめて電話くらい」とか、「こなしきれてると思えないのに自分で仕事増やすな」と。
たしかに大変だしその理想がすばらしいと思うからこそバックアップしてやりたい、支えてやりたいと思ったのだが、彼女は一人で立った上で余裕ができたら一緒にいよう、というのが最近特に強くなってきて。
友人としてはとても尊敬できる人であっても、あまりにもないがしろにされているように感じて、「いいかげんにしてくれ」というのと「はいはい、そんなに仕事したければやりたいだけやってください」というのとで、気がつけば数ヶ月頭の中でそのへんの言い合いばかりしてるのが不調を呼び、別れ話を切り出したのが半月ほど前。
ただ、やはり仕事が忙しくて会って話せる時間が取れるのにここまで時間がかかったわけだ。

当日もご多分に洩れず山積みの仕事のために20分遅れでいつものようにぴしっとしたスーツ姿で現れた彼女は、悔しいけどとても綺麗だった。
昔から多くの人に言い寄られるわけだよなぁ、と妙な納得をしつつ。
このところ疲れた顔と怒ってる顔、周囲への不満を言ってる顔ばかり見てきたのが、今日は寂しさと落ちつきを含んではいるが久しぶりに見る笑顔。
しかし、美しく透き通った緑と茶色の眼の奥に「別れるのはヤ」と言いに来たのではないことが読み取れるのが悔しい。

お互い感じていたことをぽつりぽつりと話すうちに、うすうす感じていたことを直接聞いて「やっぱりな」と思ったり。

お互いの求めるものと与えられるもの、譲れるところと譲れないところが噛み合わなかったんだな。
「ここは譲れない」っていうところがひっかかり、逆もまた然り。

こうやってさらっと書いちゃうとあまりにもありきたりなのが悔しいけど、結局はそういうことだ。

お互い微妙な笑みを浮かべてぽつりぽつりと話す、寂しさと懐かしさの入り交じった不思議な時間が過ぎていった。
今まで思っていたことを伝えてすっきりした...ハズだった。
不満だらけの関係を清算して気楽になったハズだった。

しかし、預けてあった自宅のキーを「結局ほとんど使わなかったね」と手渡されたとき、「ホントにもうおしまいなのか」と実感するのと同時に、絶対にしてはいけないことをしてしまったような感覚に襲われた。
でも俺が撤回したところで残念ながらなにも変わらないのだ。
結局別れ話を持ち出したのは俺だけど、そういう方向に持っていかされたようなもんだし。

何ともいえない複雑な心境である。


1999年7月2日(金)...疲労。

湿布貼って寝たおかげで、ふたつめのくるぶしは半分サイズになってました。
そこそこの速さで歩くこともできるんで、ふつーに出勤。

でまぁ気分的には割とすっきりなんだけど、なんか疲れる。
仕事してると異様にだるくなるんよ。

今までやってきた仕事とは全くの異分野でさっぱりわからんからなのか、昨日の疲れがどっと出たのかは不明だけど、とにかく疲れた。

筋肉痛もちょっとある(笑)。
別にそんなに体動かしたわけでもないんだけどなぁ。
うーん。

とりあえずバイク屋に電話したらレバーは在庫で持ってるらしいし、ドレンはドライバースタンド行けば売ってそうだから案外早く復活できそう。
しかし入れたばっかのオイルが2週間300kmで無くなっちまったのはもったいないなぁ。←贅沢な^^;


1999年7月1日(木)...初ゴケ。

なんかここまで来ると笑っちゃいますな。

バイクで初めてまともにコケた。
それまでは立ちゴケが2回くらいかな?

T字路を右折しようとしたら、急にトルクの立ち上がる4000rpmを越えたところ、横断歩道の白線の辺りで突然リヤがグリップを全く失って。
雨は上がって路面も乾いてそうなのになぜ!?
フルタイム4WD乗りの悲しい性か、リヤが流れると条件反射的にアクセル全開。
↑バイクではどうするのが正解なん?
まるで氷の上を走っているかのようなグリップ0のリヤタイヤが激しく空転、フロントを軸に後ろを向き、「後続車はまだ十分間隔があるな」と安心したかと思うとまた前へ。要は360度スピンして横転。
でも移動エネルギーはほぼゼロ、その場で倒れたような感じになったんで結果オーライか。ガードレール直行だったら人もバイクもダメージでかいからなー。

幸い大したケガもなく、バイクを起こして移動させようと思ったら前のブレーキレバーが根元からぽっきり折れてる。
とりあえず端へ移動して車両のを確認すると、エンジン下からオイルがだだ漏れ。
「うひゃー、車みたいな薄っぺらいオイルパンでもないのにーっ!」と莫大な修理代を覚悟したが、よく見るとドレンボルトがない(苦笑)。
前回のオイル交換時に締めたのが緩かったのか?
頭が1.5mmくらいしかない締めにくいボルトだけど、きちんと締めたハズなのに。
でもまさか15000rpm巡航で緩むようなことはないだろうから、自分のミスだな、こりゃ。
なんでも気軽に自分でやるけど、整備は慎重にやらなきゃいかんというのを改めて感じた次第である。

道路を見ると、結構前から漏れてたようでオイルで線を書きながら走ってたらしい。
恐らくそれがいよいよT字路附近でどばーっと。
路面がドライでも自分でリヤタイヤの前にオイル撒いてりゃ世話ねーな(苦笑)。
T字路のあたりはすっかりオイルまみれで、後続のオフ車もオイルに乗ってこけてた。
何事もなかったかのようにさっと起こしてさっと乗ってったけど、申し訳ないことしたな。
一応路面に溜ったオイルは新聞紙に吸わせる。

とりあえず前ブレーキが効かないのはともかく、オイルなしでエンジンを回すのは焼きつきそうで恐いので、歩道に移して各所をチェック。
ドレンつけてブレーキレバーを交換してオイルを入れればそのまま乗れそうな感じ。
あとはマフラーにちょっと傷がついたくらいか。暗いからよくわかんなかったけど。
電装系は一通り使えるし、エンジンもかかったし。

とりあえずその場に置いて、最寄り駅まで10分ほど歩いて(現場は駅からまっすぐ南下したあたりだった)電車で帰った。駅からうちまでは20分。

家に着いて風呂場で水を張ったバケツに足を突っ込んで悠々と新聞を読む。
気付いたら右足に2つ目のくるぶしができてた(笑)。←要は腫れた
右足首の軽い捻挫以外は他には肘をちょっと擦りむいただけ(上着、リュックは無傷)で、人馬共にかなり幸運だったようだ。
横転して頭を路面に打った瞬間に「コレ、メット被ってなかったらシャレにならねーよな」とか思ったし。

しかし、これが...

  • 300Rの下りで120km/hで一番トルクのある12000rpmくらいですっこけたら...←人もバイクも大ごと
  • すぐ後ろから車が来てて横転したところを轢かれたら...←同上
  • ガードレールにツッコんでたら...←同上
  • 入院とか足骨折で通勤不能になってたら...←これからの仕事は代わってもらえる人がいない
  • 素手だったんで(コラ)手にケガが行ってたら...←むちゃむちゃ痛そう(-_-;)
  • オイル落ちてるのに気付かずに回して焼きついてたら...←高く付くな(苦笑)
    とか、いろいろ考えると身体的にも財政的にも俺ってむちゃむちゃツイてるなーと思って、なんか気分がすっきりしました(ォィ)。
    最近の鬱だった自分があほらしくなって。

    そういえばレガシィで事故ったときもたまたまガードレールなくて縁石に右フロントヒットしただけで、ボディは無傷、ロアアームとクロスメンバ交換だけで済んだし。

    でもやっぱバイクは危ないよ。
    ちょっと間違えば簡単に大ケガするからね。
    でもまだビート買えないし、オープンカー、ライトウェイトスポーツカーとは違ったおもしろさがある。
    最近だんだんバイクのおもしろさがわかってきたところにこういう軽い事故、いい勉強と戒めになったんでよかったんじゃないかって思うことにした。

    とりあえず部品取り寄せて直して回収してこなきゃ。
    もう数日待っててくれよっ!ちゃんと迎えに行って直してやるからなっ!>ばんでっとくん


  • 1999年7月1日(木)...倒産。

    三星自動車が倒産。
    三星グループっちゃ韓国の財閥でも結構でかいほうで、半導体じゃ世界でもトップ3に入るようなとこだっつーのに倒産。
    そりゃ財閥同士の勢力拡大競争の如くなにも考えずに事業拡張してくとこうなるってことで、それはそれで置いとく。

    そこで気になったのが会長が私財2800億円を投げ打って負債を整理して買い手を見つけやすくするってやつ。
    今の日本のトップでこれができるやつっているか?
    エラいひととはこうでなきゃいけませんな。
    不祥事起こしときながら奥単位の退職金功労金もらって「あとは知らんよ」とばかりに悠々自適の生活を送るようなやつに高い給料払うなよ。
    2000億出せとは言わんから、自宅以外は処分して周りに迷惑かけんようにするくらいはしてもいいよね。
    自営業者なんか自宅も担保にして資金調達してるんだから。

    ってなんか毎回こんなこと書いてるような気がする(笑)。


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